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永劫における儚きもの

こんにちは、ねんてんです。

構造化する二項対立

人間たちは、正しい・誤っている、女性的・男性的、暑い・寒い、健常・障害、陰・陽、無数の評価軸から何かを恣意的に選択し、どちらがより好ましいと感じるのかを判断しているようです。けれども、私がどちらであるかなんて、コミュニケーションに応じて変わってしまう。どちらか一方を自分が贔屓したところで、自分自身に対する茶番になるだけ。頑固になる程、それを上回る相手の前では、にわかになるだけ。そして同時に、コミュニケーションの前では、自分がどちらであるかを強制されてしまう。自分がAであるかないか、あるいは分からない、というような二元論上のアイデンティティーは、自分がよって立つところの無さを強調しています。これらの現象は{コミュニケーションにおける文脈の一貫性, 不可視なるものは不変であれ, 変化のあるものは可視化されるはずだ}という幻想が、存在よ永劫であれと叫び、多様性の放棄を促しているかのようです。

これから紹介する生存戦略の三すくみは{対立ではなく循環的な相性関係によって強さとは状況に依存したものでしかないという相対性を強調する, 多様性に基づいた}世界認識のフレームワークです。

生存戦略のモデリング

ポケモンというゲームがあります。いろいろスピンオフ作品はありますが、ポケモン本編はポケモンと呼ばれる生き物を、捕まえ、産ませ、育てて、チームを組み、最終的にオンラインでポケモンを戦わせることで熱狂的に盛り上がっているゲームです。古より続くポケモンバトルの伝統の中で、ポケモントレーナーたちはダメージレースという概念をポケモンバトルに見出した歴史があります。ダメージレースとは 受けるダメージよりも回復量の方が大きければ、自分は永遠に倒れない, 回復量よりも与えるダメージの方が大きければ、相手はいつか倒れる というシンプルな考え方です。 与えられた盤面をダメージ量に関するレースとして評価することダメージレースというモデリングです。ダメージレースの概念が非常に適合する戦術が生まれるパーティ構築の考え方として、防御的な受けループや、攻撃的な役割論理と呼ばれるような戦略がポケモンバトルの世界で知られています。

ダメージレースが適用される盤面における、プレイヤーの行動は大きく2つしかありません。それは攻撃するのか回復するのかという二つです。しかし、この2つだけしか選択できないようなゲームはあまりに単純すぎて、しばしばつまらないでしょう。現実のゲームでは攻撃と回復以外の、さまざまな行動が用意されていたり、また攻撃に誘発して生じる出来事などによって、ゲーム性を実現しています。ゲーム性のあるダメージレースにおいてプレイヤーの行動は、以下の3つのいずれかまたは複数に当てはまる特徴を持っています。

(1) 回復 : 受けたダメージを回復する行動

(2) 召喚 : 自分の手数を増やし、時間当たりに与えるダメージを増やしたり、受けるダメージを分散させる行動

(3) 反射 : 相手の行動に誘発して、自分に有利な効果が生じるようにする行動

これら3つの行動には、相性関係があります。それは、

という三すくみの関係性です。これはどういうことかポケモンやTBS($=\,$Turn Based Strategy ——ファイアーエムブレムなどSRPGとも呼ばれるシミュレーションゲームのジャンル)といったゲームの例で詳しくみてみましょう。


\[ \begin{xy} *[snow] \xymatrix@!R=0ex@!C=0.5ex { &{召喚}\ar@/^/[ddr]^{}\
& \txt{} & \
{回復}\ar@/^/[uur]^{} & & {反射}\ar@<-0.8ex>@/^/[ll]_{}\
} \end{xy} \]


このようなダメージレースとしてゲーミフィケーションされた生存戦略から抽出された、三すくみを生みだしている三つの特徴を、より一般化して次のように捉えていきます。

(1) 回復 : 物事がなにか決まった状態や理想的な状態へと回復するようにすること。特定の状態を維持したり、際立った性質へと先鋭化・純化すること。

(2) 召喚 : 何かが生み出されること。増殖していくこと。集団化・社会化すること。場を支配するルールを生み出す、秩序を適用する、ポテンシャルを生み出すこと。

(3) 反射 : 物事の向きが変わること。ある事象が別の事象へ反映されること。肉体の自動的な運動、脊髄反射などが生じること。物事の解釈が転換されること。集合化によってメタに捉えられたものをさらにメタに問い直すこと。

この三つの特徴が作り出している相性関係 回復<召喚<反射<回復<…… を生存戦略の三すくみといいます。


1$\,+\,$3$\,=\,$4 への類推

神秘的な世界観のなかには、4という数に関係する世界認識のフレームワークがしばしば存在しています。火水風土の四大元素や、東西南北を司るような天使、神々、精霊などが多様に存在しています。生存戦略の三すくみをこうした四元論的世界観へ翻訳・接続するための解釈を一つの参考として紹介します。

ゲーム性のあるダメージレースにおけるプレイヤーの行動は、以下の4つのいずれかまたは複数に当てはまる特徴を持っています。

(0) 攻撃 : 相手にダメージを与える行動

(1) 回復 : 受けたダメージを回復する行動

(2) 召喚 : 自分の手数を増やし、時間当たりに与えるダメージを増やしたり、受けるダメージを分散させる行動

(3) 反射 : 相手の行動に誘発して、自分に有利な効果が生じるようにする行動

プレイヤーが取りうる4つの行動のうち、攻撃は最も自明で基本的な行動です。何もしないという行動のほうが、攻撃することよりも、一見自明な行動に思えるかもしれませんが、ダメージレースにおいては攻撃することより何もしないことの方が特殊で珍しい行動です。攻撃すらしないということは、時間あたりに与えるダメージを減らしてしまうからです。攻撃することは時間当たりに与えるダメージを維持するという意味で、自明な召喚をしていると考えることができます。もしその攻撃で相手の手駒を倒せれば相手の手数を減らしている、つまり相対的に自分の手数を増やしていると考えることもできます。相手を倒せるときの攻撃行動は相対的な召喚行動と見ることができます。ほかにも反射行動を召喚行動に対するメタである ‘ダメージスピードに関するレースをダメージレースへと引き戻す行動’ として捉えるとき、愚直に攻撃することも戦いの土俵をダメージスピードに関するレースではなくダメージレースへと移しているという点で攻撃行動は反射行動の一つだと見ることもできます。さらには攻撃によって相手にダメージを与えることをダメージレース上で相対的に自分のダメージを回復させているのだと考えるなら、攻撃行動は回復行動だということもできます。

攻撃が回復・召喚・反射といった行動に含まれると考えるとき、生存戦略は三つの特徴で説明できることになります。しかし、もし四神や四元素やそのほか 4$\,=\,$2$\,\times\,$2 の特徴づけによる世界観を採用したいと考えるのであれば攻撃を召喚や反射や回復から独立させて理解することもできます。攻撃や召喚は能動的な行動であり、回復と反射は受動的な行動です。攻撃と回復はダメージレースの中心を担う対称的な関係を持ち、召喚と反射はよりゲーム性を高めるための補助的な対称関係にあります。こうした捉え方によって、生存戦略のモデリングは 4$\,=\,$2$\,\times\,$2 の世界観を獲得でき、ほかの四元論へと接続することもできます。しかしこの捉え方はあくまでもほかの 4$\,=\,$2$\,\times\,$2 的な世界観との翻訳のための理解であって、生存戦略のモデリングの主眼は回復・召喚・反射の循環的な相性関係にあります。生存戦略のモデリングは 1$\,+\,$3$\,=\,$4 の世界観のもとにあります。

ダメージレースとしてゲーミフィケーションされた生存戦略の 1$\,+\,$3個の特徴を、より一般化して次のように捉えておきます。

(0) 攻撃 : 存在すること。解釈を終わらせること。

(1) 回復 : 物事がなにか決まった状態や理想的な状態へと回復するようにすること。特定の状態を維持したり、際立った性質へと先鋭化・純化すること。

(2) 召喚 : 何かが生み出されること。増殖していくこと。集団化・社会化すること。場を支配するルールを生み出す、秩序を適用する、ポテンシャルを生み出すこと。

(3) 反射 : 物事の向きが変わること。ある事象が別の事象へ反映されること。肉体の自動的な運動、脊髄反射などが生じること。物事の解釈が転換されること。集団化によってメタに変化したものをさらにメタに問い直すこと。


\[ \begin{xy} *[snow] \xymatrix@!R=0ex@!C=4ex { &{召喚}\ar@/^2ex/[dddr]\
\
&{攻撃}\ar@{<->}[uu] \ar@{<->}[dr] \ar@{<->}[dl] \
{回復}\ar@/^2ex/[uuur] & & {反射}\ar@/^2ex/[ll]\
} \end{xy} \]


自我の生存戦略

人間は生活しています。幸せのままにぼうっと存在している人がいれば、計画を立て戦略の中に存在する人もいます。愛は人それぞれでした。生活のための判断が恒常性を生み出すとき、判断によって自我が構成されます。ここに自我の生存戦略があります。意識は何かを認知し、認知したものを記憶し、記憶に基づいて行動を指示します。行動をすると新しい認知がうまれ、記憶になります。そうした循環的なプロセスとして判断そして自我は実現されています。

私にとっての認知も記憶も行動も、どれもが私という一つの存在を別の角度から表現した形式上の違いであり、本質は同じものです。こうしたモデリングは恣意的な表現です。自分に都合のいいものを使えば良いのです。もし 認知$\rightarrow$記憶$\rightarrow$行動$\rightarrow$認知 という判断の流れが決定論的・運命論的で不便であれば単純に矢印の向きをひっくり返して 認知$\leftarrow$記憶$\leftarrow$行動$\leftarrow$認知 と考えることもできます。

こうしたモデリングが真理かどうかは何の意味もないことです。なにか瞑想をしようとして、目に見えない自我だとか自分の判断とかいうものを捉えたいときのインスピレーションの役にたったときに、注目するだけの価値があったにすぎません。生活していて、うまく判断できない、行動、知覚、記憶がうまくいっていないときに、なんとかするネタがなければ、とりあえず形式的にその拮抗を生み出している三すくみを考えることで、瞑想のとっかかりになって便利かもしれません。


推移性をもった循環構造

A<B かつ B<C ならば A<C が成り立つことを推移性と言います。AからBが生まれ、BからCが生まれるなら、AからCが生まれると言っていいですよという性質です。この推移性を循環構造の中で考えると、鶏が先か卵が先かという問いに対して一つの解像度を与えます。

というお話に対して

の三つを取り出してそれぞれに推移性をつかってやると

というお話にすることができます。A$\rightarrow$B$\rightarrow$C$\rightarrow$A というお話と、A$\leftarrow$B$\leftarrow$C$\leftarrow$A というお話は、この解像度において同じ話をしていることになります。‘鶏が先か卵が先か’という問いに対して、‘鶏から卵がうまれ、卵からひよこが孵り、ひよこは鶏になる’というような解像度の話をしている限り、その関係性はいくらでも入れ替えることのできる話でしかありません。生存戦略の三すくみにおける相生関係はインスピレーションのために自由に入れ替え可能な選択肢です。思考という概念の捉えどころのなさは、再帰という循環が生み出すこのような自由さが関係しているかもしれません。

もし、生存戦略の三すくみの循環構造を断ち切ったモデリングを考えたくなったときは、一つか二つだけ関係性の向きをひっくり返してあげると、循環していたことを忘れて、単純な推移性だけが表現されます。図で描いたら三角圏みたいになるかもしれませんが、わたしはそれを何も知らないので老後の暇つぶしが予定されています。


相生関係と相剋関係の矛盾した統合

AからBが生まれ、BからCが生まれ、CからAが生まれる というような循環的に生成する関係を相生関係といいます。それに対して、AはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つ というような循環的な強弱の関係を相剋関係と言います。剋という字は、克服の克と同じで勝つという意味の字です、たぶん。相生関係や相剋関係という言葉は五行の言葉を流用していますが、私は五行のことを知らないので文化盗用極まりなく盗人猛々しいにもほどがあります。

さて、相生関係のそれぞれは、推移性が成り立ちます。AからBが生まれ、BからCが生まれるのだから、AからCが生まれるといってもよさそうなものだと思うでしょう。もしそう思うのであれば、あなたの世界観においてはまさに推移性が成り立っているということです。それに対して、相剋関係のそれぞれにおいては推移性が成り立ちうるでしょうか。 ‘AはBに勝ち、BはCに勝つなら、AはCに勝つ’ と言えるでしょうか?世の中はそう単純ではありません。ポケモンバトルの世界ではに強く、に強く、に強いです。 ‘に強く、に強い’ からといって、推移性を使って ‘に強い’ などと言うことはできません。ポケモンの世界のように、多様性が実現され、ゲームバランスが保たれた安定的な世界の相剋関係において、推移性は成り立たないのです。相剋関係に推移性が成り立ってしまったら、世界は最強の存在が支配し多様性は霧散していることでしょう。どのような戦略もなにかの弱点を抱えているものです。

相剋関係においては推移性が成り立たない、ということは、循環している関係性の矢印を、自分のインスピレーションのために自由にいじくりまわすことが保証されていないことになります。本当でしょうか?実は、生存戦略というマクロな観点から改めて相剋関係を見直してみると、相剋関係から自然に相生関係を構成することができます。相生関係は推移性が成り立つと考えることができるので、こちらに話をすり替えれば、自由に矢印をいじることができます。

実際に相剋関係から相生関係を構成してみましょう。相剋関係:AはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つ が成り立っている時、もし相手の戦略がAを採用するとわかっているなら、自分はBを採用するわけにはいきません。Aに強いCの戦略を採用することになります。これが意味することは、自分がAの戦略を採用し続けることは相手にCの戦略を誘発させる、ということです。つまりAの戦略はCの戦略を生じさせることになります。これをA, B, C 入れ替えれば、相剋関係: AはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つ から相生関係: AからCが生まれ、CからBが生まれ、BからAが生まれる を導けました。

さて、ここで相生関係推移性を持つので、関係の向きを入れ替えて相生関係をAからBが生まれ、BからCが生まれ、CからAが生まれると書いても同じことです。何かおかしいですね。相剋関係:AはBに勝ち、BはCに勝ち、CはAに勝つ から出発したのに、相生関係:AからBが生まれ、BからCが生まれ、CからAが生まれる が導けてしまいました。

\[ \begin{xy} *[snow] \xymatrix@!R=0ex@!C=0.5ex { &{A}\ar@/_/[ddl]_{勝つ}\
& \txt{} & \
{B}\ar@/_/[rr]_{勝つ} & & {C}\ar@/_/[uul]_{勝つ} \
} \end{xy} {} \begin{xy} *[snow] \xymatrix@!R=1ex@!C=3ex { \
\Rightarrow \
} \end{xy} {} \begin{xy} *[snow] \xymatrix@!R=0ex@!C=0.5ex { &{A}\ar@/_/[ddl]_{生じる}\
& \txt{} & \
{B}\ar@/_/[rr]_{生じる} & & {C}\ar@/_/[uul]_{生じる} \
} \end{xy} \]

これは形式的には矛盾しているように見えます。矛盾はあらゆることを導ける最強の仮定と言われます。多様な世界は矛盾にまみれています。私たちはそうした現実と理想の中を生きています。現実と理想、私と社会、さまざまな対立構造の中に、それぞれの生存戦略が発生しています。相生関係に推移性を認めなければ、生存戦略の三すくみの構造的矛盾をいまは先延ばしにできるかもしれません。しかし相生関係と相剋関係の矛盾した統合は、人間たちが何かに板挟みになって身動きが取れなくなることの反映かもしれません。この三すくみの矛盾は、対立した現実と理想が生み出す矛盾に由来する必然的な帰結かもしれません。


包摂バトル

人は怒ったり、怒らなかったりします。自分の都合が理由でお怒りと思われた人は、陰で「今日はキてましたね」などと笑われがちです。大変ですね。人間は、自分の常識からずれた認知を得たときに、さまざまなお気持ちを表明します。天皇陛下も、人間と同じように、自分の常識からずれた認知を得たからお気持ちを表明します。人間たちのお気持ちバトルにおいて、お怒りで勝つにはかなりの権力が必要です。権力があっても、コミュニティの指針によっては話術がなければ勝てないでしょう。お怒りによってキてしまう弱者の生存戦略は、冷静になることです。お怒りに向き合う冷静なお気持ちを呼び出す三枚のお札があります。それは許容のお気持ちと、感謝のお気持ちと、供養のお気持ちです。

相手を身勝手だと感じてお怒りになったとき用います。相手がどう行動するかという権限はわたしのものだとわかり、その行いを引き起こさせたわたしを許しになります。わたしの近傍の世界では、だれよりもわたしの方がえらいことを知っていましたか。

知っていた

今知った

上から目線を浴びてみたり、ダシにされてお怒りになったとき用います。感謝を極めた霊を口寄せできるようになると、ありがたみ観点を見抜いてお言葉が降ります。全ての怒りを感謝で返してしまいますが、整っていないお気持ちで感謝のお言葉を伝えてしまうと、皮肉がわかりになって相手とのコミュニケーションがピリッと盛り上がります。

不思議な頼まれにお怒りのとき用います。彼岸からめぐりめぐってわたしの元へとたどり着いた頼まれは、わかりになることはありません。成仏のため、供養になることで、悲しみの連鎖をお断ちに…… 供養を意識して生きると、自分が供養された瞬間にもお気付きですから、ありがたくなっています。不思議ですね。

\begin{xy} *[snow] \xymatrix@!R=0ex@!C=4ex { &{許容}\ar@/^2ex/[dddr] \
\
&{怒り}\ar@{->}[uu] \ar@{->}[dr] \ar@{->}[dl] \
{供養}\ar@/^2ex/[uuur] & & {感謝}\ar@/^2ex/[ll]\
} \end{xy} 許容の気持ちで割り切れない怒りは感謝によって、感謝の気持ちで割り切れない怒りは供養によって、供養の気持ちで割り切れない怒りは許容によって、それぞれ包摂しやすいという関係にあります。

しかし、お怒りを忘れてその場を凌いだとして、それは本当にわたしの役に立っているのでしょうか。感情を誤魔化して生きた結果 ‘どんな迷惑も許してくれる人’ ‘騙しても感謝してくれる人’ ‘なんでも引き受けてくれる人’ と評価され、さらなる災厄を呼び寄せるかもしれません。大切なのは、感情を見つめることです。怒りを感じた時に、社会性で感情に蓋をして、感情を社会に包摂されるのではなく、自分の感情が社会を包摂することです。怒りを自覚して、自己を観察し、許容や感謝や供養の気持ちで、社会を自分の内側に取り込むことで、社会に都合のいい自分ではなく自分に都合のいい社会へと、社会を包摂し返していくことが、生存戦略です。

私の方がえらいから許してあげるという許容の気持ち、私のためにありがとうという感謝の気持ち、もう死んで大丈夫ですよという供養の気持ちが、あなたを傷つけていた社会をあなたより弱い存在へと堕としめ封印する三枚のお札です。このお札は許容だとか感謝だとか供養だとか言って優しそうな顔をしておきながら、もしかしたら劇薬かもしれません。今まで社会に取り憑かれていた代わりとなって、このあたらしい感情に取り憑かれてしまうかもしれません。許容という名の命令に、感謝という名の皮肉に、供養という名の追放に取り憑かれた結果、社会性のある言語能力が崩壊していらんことばかり口走るようになったら、人生がきっと盛り上がることでしょう。急カーブを曲がり切りたいあなたが強い感情に身を任せるのは、生き霊が襲ってきたときぐらいにとどめておくのが無難でしょう。生き霊相手の支配傾向を {召喚$=$許容$=$命令} {反射$=$感謝$=$皮肉} {回復$=$供養$=$追放} の三種類のうちどれであるかを観察・分類して、召喚には反射、反射には回復、回復には召喚のイメージでエネルギーや感情を選択する後出しジャンケンで、包摂バトルを制してしまいましょう。

喜怒哀楽疑憎淫+許し, 謝り, 養い and You. 11番目の気持ちはあなたです。