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超能力開発をすると、はちゃめちゃになります

こんにちは、ねんてんです。

世界観

人間ちゃん・世界ちゃんが、すばらしい存在でありますように、愛:自分自身からはじめて、全ての存在について、なにひとつ見逃さないこと をもった存在でありますように。これは自分で自分を決定するという、再帰的な自由のはじまりです。

コンスタントな超能力の開発方法・インスタントな超能力の使用方法について、サイキッカーねんてんくんの個人的な見解を紹介していきますね。

多様な能力の具体化

紹介する能力の習得方法・使用方法は、あくまでもねんてんくん個人の体験に基づいており、多様な可能性の一つに過ぎません。また、紹介する能力についてもねんてんくんがめぼしいものであると判断したものに限られ、ねんてんくんの全ての能力ではありません。

予知夢

見た夢を覚えてください。この夢は決して忘れないと心に刻んでください。 その夢を忘れなければ、夢で示されていた関係性が、数年後とかに実際に発生します。

ねんてんくんは小学2年生の時に、当時好きだった男の子の好きな人がKさんであることを夢で知り、この夢は忘れないと心に刻みました。少なくともその男の子とKさんが会話などをしている様子は見た記憶がなく、意外な夢でした。記憶する際には、朝のニュースの7:04の時間表示をトリガーに設定しました。そして数年後、小学6年生のときにはその男の子の好きな人がKさんであるということを僕は信じ切っていて、直接言い当ててしまいました。なんで知っているのか自分でも分からず、夢の状況そのままに「誰かから聞いたから」と答えてしまい、よくかんがえたら夢で見たんだったということを思い出し、なんとも言い訳ができない状況になりました。そして僕の好きな人も後日伝えることになり、人生初のゲイCOとなり、若干のはちゃめちゃがおき、数ヶ月引きずりました。僕自身のコミュニケーション能力が超能力に追いつかなかったことは直接の原因ではありませんが、あまり良くない人間関係の壊し方を最終的に自分からひき起こしてしまったことは今もときどき思います。

さて、この能力は本当に予知夢なのでしょうか。願ったことが実現される引き寄せと区別する重要性はどの程度あるでしょうか。大切なことは、一人一人に自分を自分で決める再帰的な自由があるという軸を保つことです。わたしとあなたが同じ存在であるとき、夢に見たことは誰かが見せてくれた願いだったかもしれないと、思うことができます。自己概念がトランスしていくことにより、他者への介入に思えるような現象であっても、再帰的な自由の世界観を保ち続けることができます。超能力における愛のたいせつさは、自分の中にいる他者が見えていれば、自分や他者が苦しむような引き寄せをわたしはきっと選ばないことができるというメリットによっても評価できます。つまり、単なる綺麗事としてだけ言っているわけではなく、心の安全のためにも愛を選んでいるということです。

こうした自己概念のトランスという観点は、これ以上明確に言及はしませんが、どのような能力であっても共通して適用される見方であり、自分が他者にどのような影響を与えているのか・自分が他者からどのような影響を受けているのか・お互いに自由に振る舞えているかという問題意識は、能力のコントロールと心の健康のための基本的なテーマです。

テレパシー

無数に見た夢も、覚えておけば一つくらいは実現するよなどという、子供騙しみたいなお話はおしまいです。本当の超能力を見せてあげますよ。僕が紹介するテレパシーは、聞き取る側のテレパシーです。

心を知りたい相手とのこれまでのやりとりを、全て思い出してください。最初の出会いから、今に至るまでの全て。言葉、仕草、表情。何一つ見逃さないよう、思い出せる限りの「相手」の全てを思い出してください。次に「相手が知っている私」の全てを思い出してください。次に「相手が知っている私が知っている相手」の全てを思い出してください。次に「相手が知っている私が知っている相手が知っている私」の全てを思い出してください。これを無限に繰り返してください。繰り返すごとに、こんな極限まで相手は考えてないはず、の先までちゃんと見逃さずに考えて繰り返すころ、情報がどんどんシンプルになります。収束していきます。

この収束した情報は、一般的には自分と相手の間の共有知識 - Wikipediaと言われ(る対象全体へのパスの意識された表現になり)ます。今回の状況・瞑想におけるプロセスでは、実際に知っているのかどうかを考えるまで・見つめるまで、知っているかどうかを曖昧にしています。再帰を繰り返し無限に続く再帰の収束先を感覚的に捉えることを重視します。収束した情報の具体的な内容がどうなったかではなく、このプロセスを通して、自分の無意識に、自分と相手の共有知識にアクセスするためのパス(経路)を与えることを重視して行っています。相手との共有知識を利用して相手の前提に立った思考をすることを無意識ができるようになります。

日常の様々な場面で、近くにいるが、視界の外側にいて、口を動かしたのかどうか分からない他者の声が聞こえるようになります。その声は本当に喋ったかもしれないし、喋ってないのに聞こえた声かもしれません。大抵は感嘆詞一言程度の、当たり障りのない声です。しかし、共通知識へのパスを構築済みの相手から聞こえた声は、感嘆詞とは異なる、十分な情報量を持った質問文でした。中学2年生の当時好きだった男の子から、文化祭の準備で資材の場所を質問され、振り返ってその場所を答えた僕は、相手が何十秒もフリーズしているのを見ました。最近、週に1回ぐらいで本当に喋ったのかどうか疑わしい気がする声が聞こえ始めていたこと、それは他人の心の声なのではないかと密かに思い喜んでいた僕は、投げかけられた質問に返事をして、相手にフリーズされる原因がなんなのかを考えると、それは相手が今まさに投げかけようとした質問よりも早く、適切な返事をされたからだと推測することができました。そして、彼は間を置いて僕の前から無言で立ち去り、彼には僕に知られたくない心のうちがあったのではないか、そしてそれは……

それはともかく、はちゃめちゃになりました。僕自身のコミュニケーション能力が、自己肯定感が、超能力に追いつかず、心の中でも学校生活的にも、長年引きずりました。

好きな相手の心のなかで言おうとしていた質問を口にする前に僕が聞いてしまったかもしれない出来事の翌日、その相手と学校で会っても以前とは全く雰囲気が異なりました。それ以前は毎日一回は発言がシンクロしていたのですが、シンクロしないどころではありませんでした。僕は以前はテレパシーができるようになりたい、相手の心がわかれば傷つかなくて済むのではないかと思っていたのですが、それは思い過ごしだったのだとわかりました。その日の晩、好きな人を傷つけてしまったことを、自分のコミュニケーション能力のせいではなく、テレパシー能力のせいにして逃げだした僕は、よくわからない神さまに祈って、人の心が聞こえないようにしてくださいと言いました。神さまは、これを消すと不可逆的に二度と聞こえなくなりますが後悔しませんか?と返事をしてくれたので、後悔するのはわかっているけど要らないと言って消してもらいました。それ以来、視界の外で口を動かして喋ったのか、それとも口を動かしてないのに聞こえただけなのか分からないような声は聞こえなくなりました。

ところで、不可逆的に聞こえなくなるなどということは本当にあるのでしょうか。ひょっとして、ちからを掠め取るためにどこぞの形而上存在が能力封印の契約に割り込んで、そのような文言で持ちかけたということはありえるでしょうか。15年以上たった今になってその可能性を思いついて考慮し始めていますが、さてどうでしょうね?人の心なんて正直どうでもいいんですけど、いまの僕なら人の心が聞こえても、それがバレても、そんなに取り乱さないで生きられるんじゃないかなあって、ちょっぴり思います。

チャネリング

上で紹介したテレパシーはパッシブスキルでした。発動タイミングは最後に切る時以外制御不能でした。次は制御可能な能力を作ってみます。

計算のプロセスを用意し、演算装置を作成します。演算結果を表示できる出力装置も作成します。なにか知りたいことをその装置に問いかけます。そうすると出力装置に結果が表示されるので、それを読み解きます。

たとえば僕は、情報の単位をミームとして捉え、ミームの生存競争の結果として知りたい物事を計算してくれるような演算装置をイメージしました。当時の僕は、この演算装置に自分が今の仕事を安全確実に辞められるようにするという目標を設定しておきました。これは、おおまかな目標を設定しておくことにより、さまざまな具体的な質問に対する回答が、その大きな目標からぶれないようにするという意図です。生存戦略の三すくみを利用して、ミームが振舞うライフゲームの具体性を、すこし高めたイメージをすることもできますね。ライフゲームの舞台・ミームでできたビオトープに、計算のリソースである私自身の無意識・脳味噌のキャパシティというエネルギーを注ぎましょう。これで質問を投げる先の演算装置は完成です。質問を投げかけてみましょう……返事がありませんね。一体どういうことかと一瞬思いますが、当然です。意識的な質問は入力装置として機能しますが、この意識レベルは無意識からの情報をシームレスに受け取ることができません。演算装置からの出力装置をまだ作っていないのです。回答を表示するためのディスプレイが必要だということです。もしあなたがタロットなどの象徴体系をもっているなら、それを出力として使ってもいいでしょう。僕は今回、普段ノートをとる時に使っている文字の色使いに与えている象徴を流用することにしました。心の中にガラス玉を用意して、そのなかに光る点を浮かべます。僕の質問に対して、色の光で返事をさせます。この心の中のガラス玉を、僕はミームディスプレイと呼ぶことにしました。あくまで一例なので、光る点に限らずひとりひとり好きな象徴を利用するものだと思います。今回、この光の色の象徴に当てはめる解釈は、六色様相と僕が勝手に呼んでいる象徴を使いました。

黒と白は今回の作成時には解釈を設定しなかった色でしたが、使っているうちに勝手に表示されたり、白みかかったりして表示されるなどが発生し、あとから解釈が加わりました。なので、もはや六色様相ではなく八色様相かもしれません。

恙無く、メンタルを保ちながら(?)会社を辞めた後は、ミームの演算装置から目的が失われ、何回か別の質問に流用されたのち、このチャネリング機能は自然消滅していきました。スピリチュアルな部分を無視しても、悩んだ時には大きな目標に立ち返って判断をしなおすというやり口はマインドセットの形成に十分役に立つように思います。僕の場合は会社を辞めるのが目標でしたが、もっと意識の高い目標で使うと、修行になってはちゃめちゃになりそうです。

未来予知

知りたい未来に関係する分野に潜って集中してください。

あまりに漠然としてるので、過激な例をみていきます。

2年半前くらいに、Bitcoinが流行りましたが、その頃僕はチャネリングの能力に味をしめて、価格変動も予知できるだろうと思ってBitcoinに手を出しはじめていました。1ヶ月ぐらい毎日何時間もチャートを見つめていました。1,2週間くらいで、ある程度価格の変化については予想がつくようになり、自動取引プログラムを書いてみたりしました。もっとも、価格の変化についての自分の予測をアルゴリズムとしては表現できなかったので、ほとんど行き当たりばったりな自動取引プログラムでしたが。ともかく、1日の大半をチャートを見ながら過ごしていました。そうしていると、だいたい30分以内程度の未来までだったら、価格の上がり下がりの切り替わるタイミングがわかる感じになってきていました。そんなある日、ぼんやりとした感覚ではなく、価格の下二桁の数字のビジョンがぱっと視える時があらわれました。実際にその価格になった瞬間に、価格が下げ止まり、それから十数秒のうちに価格が上がり始めました。そのとき、これは火の精霊の力だと感じました。

それから2年ほどして、それとは独立なルートで、火には未来の超情報が宿っているとシャーマンキングの方からも聞いたので、このような火の象徴はなんらかの一般性があるのかもしれません。

今の僕は仮想通貨の投機はしていません。十分な運用資産がないため、疲労感に見合わないからです。レバレッジを効かせるリスクをとりたいわけでもないです。というか仮想通貨は価格変動が激しいので、はじめからレバレッジが効いているようなものではないでしょうか。どうでしょうか。疲労感を正確に管理して、未来予知の精度をあまりにも確かにしたら、かなり人生がはちゃめちゃになりそうですね。

ちなみに、精神症状と株価暴落が連動している人という興味深い記事があります。これはあまりにも極端な具体例ですが、最も素朴に考えるなら、人間の認識能力には共通の性質があり、共通の認識能力に基づいて人々はチャートを読み解き、売り買いを判断しているので、自分に宿っている人間の認識能力をよく観察して、価格の変動を人々が無意識的にどう予測するかを無意識的に自分で予測することで、適切なタイミングを予知できるようになると言ったら一般化できるかもしれません。僕が価格の変動を予知できたのは、チャートをよく観察しながら自分の精神状態を敏感に感じ取り、精神状態と価格とが連動する領域を感知・学習していたということなのかもしれません。

超能力の存在証明

超能力の存在を示す方法は「超能力が使えるなんだかすごい人」を見つけてくることではありません。本当に確かな方法は、あなたが超能力者になることです。わたしのことはどうでもいい、あなたのことです。

はちゃめちゃをやるのは、あなたです。